AD/HD?治療記

AD/HDの疑いがあり、神経科を受診中です。

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ミヒャエル・エンデ「モモ」

ミヒャエル・エンデの「モモ」を読んでいます。

今回また手に取ったきっかけは、古本屋で見かけた本にちょっと書かれていたからです。
現代社会の病因に迫る(だったかな)という言い回しを見て、久々に読んでみようと思ったのです。

「モモ」は不思議な女の子"モモ"と時間泥棒のお話です。
有名な本ですから、読んだことのある人も多いかもしれません。


このお話は、システマチックに進化した社会と、それに適応できない人々の話なのだと解釈する事ができます。
適応できない、というのは何も僕らのような発達障害や鬱を訴える人たちに限った話ではないと思います。
お話に登場する時間泥棒――異常なまでに死を恐れる彼ら――もまた社会に適応しきれないが故に時間泥棒になったのではないかと、そう思うのです


「そんな人は昔からどこにでも居るじゃないか」
「わざわざ診断名を付けて大げさな」

AD/HDやASについて人に話すと、皆口を揃えてそう言います。
確かに僕らのような人は昔から居たといいます。
では何故今それが現代では問題になっているのか?という事が問題なのです。
僕らのような人が昔から居て、そして昔から変わり者扱いされていたということは、僕たちは変わっていないのです。
では昔と今では何が変わったのか?それは社会の仕組みの方ではないでしょうか?

養老孟司曰く、社会とは僕たちの脳の中身を反映して形作られるものだそうです。
社会が発展し、システマチックになるに伴って、
人々には個性よりも無個性で均一である事が求められるようになり、
それに脳が付いていけなくなったのではないか?
そうやってはじき出されたのが僕らではないかと思うのです。

しかし僕らも、はじき出されたままでは居られません。
なんとか適応してゆかねば、生きてゆけないのです。
その為に自分を変える(薬物療法、心理療法)か周囲の理解を求めたり、時には転職(環境療法)が必要になるのです。

治療にはその指針として適切な診断が不可欠です。
診断名を付けることはその為に必要な手順を踏んでいるに過ぎません。決して大袈裟では無いのです。
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  1. 2010/09/20(月) 18:46:12|
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